
フランソワ・マリー・シャルル・フーリエ(Francois Marie Charles Fourier、1772年4月7日-1837年10月10日)は、フランスの社会思想家。「空想的社会主義者」を代表する一人。
1772年、フーリエはブザンソンで裕福な商人の家に3人の姉を持つ一人息子として生まれる。彼は幼年時代に「嘘をつくことを神聖視する商業」そのものを嫌ったと言われている。しかしながら、彼が9歳の時に父を亡くし、彼は家業を継ぐためにヨーロッパを移り歩く徒弟修業を強いられる。
当時のフランス第二の都市であったリヨンに落ち着くが、1793年のリヨン包囲の混乱に巻き込まれ、投獄されたあげくに相続財産の多くを失うことになる。このときの悲惨な体験が後の思想につながっていると言われ、彼は以来、政治革命に対し根強い不信感を抱くようになる。
その後は雇われ店員や行商人を続けながら、1808年に代表的な著作である『四運動の理論』を執筆・刊行する。この中でフーリエは、宇宙には物質的、有機的、動物的、社会的運動の4つの運動があるとし、彼は社会的運動において物質的世界におけるニュートンの万有引力の法則に匹敵する「情念引力の理論」を発見したと宣言する。
フーリエはこの情念引力論に依拠した1620人から成る農業アソシアシオン、すなわちファランジュの建設を提唱した。しかし彼の一種奇抜な著作の内容と理論は、同時代人からは嘲笑の的となり、一部の熱心な支持者や弟子を除くと、まともに理解・評価されることがなかった。その後、フーリエの最初の弟子であるミュイロンたちなどから、後のフーリエ主義運動が生まれることになる。
1822年には弟子のミュイロンに急かされる形であるが、以前に執筆していた『大概論』の一部を『家庭・農業アソシアシオン論』として上梓する。
1829年には、その要約である『ソシエテールな産業的新世界』を出版するが、これもまた多くの読者を獲得するに至らなかった(ちなみに、まだ青年であったプルードンがこの書の印刷所で校訂作業に従事していた)。しかしフーリエは落胆せず、毎日正午には帰宅し、自身の思想のファランジュ建設のための資金提供者を待っていたといわれている。
晩年のフーリエはパリで過ごし、コンシデランらと集まってエコール・ソシエテールを結成。
上記以外の著作に1967年になって初めて出版された『愛の新世界』があるが、これはフーリエが書きとめた同じノート・草稿を元にしており、そもそも『大概論』という書を目指したものであったが、後世の者によってその草稿の一部がまとめられて発行されたものである。現在、その草稿自体はパリのフランス国立古文書館に所蔵されている。
フーリエの思想は主に「産業主義の批判」と「理想的協同体の提案」、「自然的欲望の肯定」である。 当時のヨーロッパは産業革命勃興期であり、国家・政府が産業主義を推奨し、その庇護を受けた産業者(資本家)が賃金労働者をとことんまで搾取するという光景が至るところに存在した。また、そのような「国家」の暴力に対して「革命」の暴力もまた悲惨な光景を生み出していた。革命と称する破壊と暴力によって何か益を生み出すかといえば、(フーリエ自身が体験したように)財を失った多数の貧民や浮浪者、破壊されつくした街を生み出しつつあり、これでは本来の「革命」の目的からすると悪循環であった。
そこでフーリエが提案したのは「アソシアシオン」(協同体)の創造(フーリエの用語で言えば「ファランジュ」)であった。その協同体は国家の支配を受けず、土地や生産手段は共有とした上で、1800人程度を単位として数百家族がひとつの協同体で共同生活をする。基本的に生活に必要なものは自給自足とする。また、労働活動を集約することで労働時間を短縮する。といった提案であった。 そこまでは後の社会主義・共産主義思想に類型が認められるが、フーリエ独自の観点としてさらに「自然的欲望の肯定」が認められる。
カール・マルクス、あるいはその継承者によって「空想的社会主義」と片付けられ歴史の記憶に忘れ去られようとしていたところで、フランスのシュールレアリスム系の文学者や、20世紀以降の哲学・思想家によって再発見・再評価された。例を挙げると、思想家ではロラン・バルト、ヴァルター・ベンヤミン、ピエール・クロソフスキー、ジル・ドゥルーズ、文学者ではアンドレ・ブルトン、オクタビオ・パスなどがフーリエの文章と思想から影響を受け、あるいは賞賛した。
ちなみに、エンゲルスは自らの著作などでフーリエを「偉大な批評家」として大きく評価しており、マルクス・エンゲルス主義によってフーリエの思想が「空想的社会主義として片付けられた」という意見は、一部誤解を含むことになる。
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